ジョセフ・ピラティス
nジョセフ・ピラティス n nピラティスはこの方が考案者であり、そのファーストネームをとって付けられています。 n n「10回やれば、違いを感じ、20回やれば違いが目にみえ、30回やればまったく別の体に生まれ変わるでしょう。そして50年後こそ必要。」これが彼の言葉です。 n n n1880年、ドイツのデュッセルドルフ郊外で生まれたジョセフ・ピラティスは n生まれつき体が弱く、喘息、骨軟化症、リウマチ熱で苦しみました。 nしかし、病気に負けるのではなく、まだ、少年であったにもかかわらず、体力をつけて自分の健康状態を改善しようと、ボディビルに励み、バランスのよい身体になると、人体解剖図のモデルになるほどの成果をあげました。 n n n現代で言えばエクササイズおたくです。 n n n彼はさらに、ダイビング・スキー・体操・ボクシングなどあらゆるスポーツを実践。 nついにはサーカスで演技するほどにもなりました。 n nまた、健康のため、ヨガや武術も熱心に学び、さまざまなエクササイズを研究し、自分自身ばかりでなく、周りの人々の健康状態もよくしていきたいという強い意思を持ち、1900年代初めにまったく新しいエクササイズを生み出したのです。 n彼はこれを「コントロロジー」と名づけました。 n n nコントロロジーは西洋と東洋のエクササイズを合体させた、頭を使って体の筋肉をコントロールするといったものでした。 n n32歳のときに、彼はイギリスに渡り、ボクサー、サーカス団員、などをしながら、ロンドン警視庁の刑事や、探偵を相手に護身術を教えます。 nしかし、第一次世界大戦が始まると、ドイツ人であるという理由で、収容所に入れられてしまいます。 n n nそして、収容所仲間にマットエクササイズを教えはじめました。 n戦争の後半に彼は、イギリスのマン島に送られます。 nそこで、彼は同じ拘留者仲間の健康を維持させようと、エクササイズを教え、彼のトレーニングを受けた仲間は誰一人、インフルエンザにかからなかったといいます。 n n nピラティスは次にマン島の病院で病棟勤務員として働くことになりました。 nそこには多くの負傷者が入院していました。 n彼はそこで、ベッドに寝たまま、リハビリができるよう、ベッドにバネをつけて患者たちのエクササイズ用具を作りました。 n n nそして彼の受け持ちの患者は他の患者たちより早く回復することがわかりました。 n nこれは患者の体に負担をかけることなく筋肉強化やストレッチに役立つもので、現在使用されているスタジオでのマシンの原型となりました。 n n n彼は経験上、体のバランスの悪さと習慣的な動きが怪我を招くと信じ、体の弱い部分とそれをかばう部分の動きを研究し、体の再調整、再教育するエクササイズ「ピラティス」をつくりました。 n n戦後、一時的にピラティスはドイツに戻り、警察のトレーナーとして働きました。 nそして、1926年にアメリカに移住する船上でで知り合った、妻クララとともにニューヨークに最初のスタジオを設立することを決めました。 n n nそしてこのメソ ッドを当時の超有名なダンサー「マーサ・グレアム」や「ジョージ・バランシン」(NY CITY バレエの創始者)など、優れたダンサーたちに教えました。 nピラティスを実践するうちにダンサーたちは自分の体がよりしなやかになり、故障が n起こりにくくなっていることに気づき、支持され発展することになります。 n n n※マーサ・グレアムについてもっと詳しく知りたい方はこちらから n※ジョージ・バランシンについてもっと詳しく知りたい方はこちらから


